毘沙門天

上杉謙信が異常なほど信仰し、自らをその化身と言い放ったほどの強い感情を捧げたのが毘沙門天です。

軍神と言われた謙信が尊敬したということ、甲冑姿の像が多いことなどで毘沙門天=戦いに強い神というイメージが一般的ですが、実は人間にとって身近な御利益をもたらしてくれる神様でもあるんです。

今回は戦いとは縁遠くなった現代の人間を助けてくれる毘沙門天の一面を紹介します。

毘沙門天とは?

上杉謙信
毘沙門天を信仰した上杉謙信

お正月の縁起物として欠かせないのが七福神。

現代でも多くの人々がよりどころとして信仰し、平安や幸福を招くものと考えられています。

七福神はその名の通り、七人の神様のことですが、(その中には毘沙門天の妻とされる弁財天大黒天などが含まれます)毘沙門天もその一人です。

その由来をたどるとインド神話の財宝神クベーラが前身と言われ、ヴァイシュラヴァナという称号(「神の息子」の意)も持っていたそうです。

そのヴァイシュラヴァナを中国で表したのが毘沙門という表記だそうです。

本来ヴァイシュラヴァナという称号は【よく聞く所の者】という意味にも解釈されるので毘沙門天はまたの名を多聞天(たもんてん)とも呼ばれています。

多くの言葉(仏典でしょうか)を聞き入れる者という意味かも知れません。

ヒンディー教では宝石の神とされた毘沙門天は、仏教を信仰する人々を守る四天王の一人とされています。

四天王像は東大寺戒壇院のものが有名ですが、仏法を守護する四天王は東を守る持国天、西を守る広目天、南を守る増長天の3神がいて、毘沙門天は北を守護する神と言われていました。

つまり、東西南北を守るこれらの神が四天王であり、毘沙門天はその一人として位置付けられていたのです。

前述した【多聞天】の名称ですが、仏が説法する道場に常に控えていて説法を聴いていることから呼ばれたという説もあるそうです。

戒壇院の四天王像でもおわかりのとおり、毘沙門天は怒りに満ちあふれた恐ろしい表情をしている神です。

その左手には宝塔、右手には金剛神を握り締めて、悪魔の使いである邪鬼を踏み付けているのが一般的な姿です。

いかにも猛々しい典型的な男神といったスタイルだと思います。

御利益は?

勝負運その猛々しい姿の毘沙門天はどんな御利益があるのでしょうか?

まずは【勝負運】にツキがあるそうです。

なんとなくわかりますよね。

続いては【財運】【金運】【商売繁盛】…意外な感じがしますね。

でも、戦に強い武人というイメージと仏法を良く聞き入れる(多聞)というイメージが合体すると《他人の話を良く聞き、自分の利益になることを聞き逃せず、勝負に出て勝つ》ということになり、生業(商売)が成功するということにつながるのかな?

と思われます。

毘沙門天と虎

鞍馬寺の虎奈良県の信貴山朝護孫子寺は、日本全国の毘沙門天を祀る社の総本山と言われていますが、その『縁起』によると発祥は次のようです。

用命天皇2年(587年)聖徳太子(厩戸王子、用明天皇長子)が朝敵(と言うより仏教の敵)となった物部守屋を討伐するためこの山を訪れ戦勝祈願をしたそうです。

すると、空の遙か彼方に毘沙門天が出現し、必ず勝てる方法を授けてくれたと言われています。

そして、その日は寅のそろい踏みの日だったとか(寅年、寅日、寅の刻)。

こうして毘沙門天のご加護を受けた聖徳太子は見事物部氏を滅ぼすことが出来たと言われています。

内乱後、聖徳太子が自ら毘沙門天の尊像を刻んで伽藍を創建し、「この山は「信ずべき山、尊ぶべき山」だ」と言い【信貴山】と名づけたと言われています。

ちなみに厩戸王子が物部氏を倒したときも四天王のご加護があったというのは日本書紀などにも登場する話ですが、厩戸王子は四天王に感謝し、大坂に四天王寺を創建したという『四天王寺縁起』もあります。

時代が下って延喜2年(902年)、醍醐天皇は自身の病気快癒に感謝して『朝護孫子寺』の勅号を贈ったそうです。

それ以来、信貴山の毘沙門天は虎(トラ)に縁のある神として信仰されるようになりました。

また、義経で有名な京都の鞍馬寺にはこんな話も伝わっています。

唐招提寺の開祖鑑真和上の高弟である鑑禎上人は、霊夢の中で白馬に導かれ鞍馬山に登りましたが、そこで鬼女に襲われたところを毘沙門天に救われたそうです。

その日も寅のそろい踏み-すなわち寅の月、寅の日、寅の刻のことだったそうです。

夢とは言え、毘沙門天に助けられた鑑禎上人はその場所に草庵を結び、毘沙門天を祀りました。

これが鞍馬寺が開かれたきっかけと言われています。

宝亀元年-770年のことでした。

寅のそろい踏みの年月日ということで【寅】に因んで、鞍馬寺の仁王門や本殿金堂の前には、神のお遣いとして一対の狛犬ならぬ狛虎(こまとら)像が鎮座しています。

お使いはムカデ?

ムカデ戦いに勝利をもたらしたり、財宝の神である毘沙門天のお使いは「ムカデ」です。

堂々としたスタイルの武人というイメージの毘沙門天と小さくてちょこちょこ動き回るムカデ…結びつかないですよね。

実は「ムカデ」は「毘沙門天の教え」とも呼ばれているのです。

というのは「百もある数多くの足の中で、たった一足でも歩調や歩く方向が違っていたら、前進するのに支障が出てしまう。

だから困難や問題に立ち向かうときには、全員が心を一つにしてことに当るように」という教えなのだと言われています。

戦国武将(武田信玄、上杉謙信など)は、毘沙門天が武神で戦勝の神とされること、そのお使いのムカデは一糸乱れず素早く前に進み、決して後ろへ退かないということで、武具甲冑や旗指物にその絵図を用いたりしたとされます。

戦場でもひるまず、前(敵)に向かって進め、という願いがこめられていたのでしょう。

しかし、毘沙門天は古代インドにおいて【宝石の神】とされていました。

またムカデは足が多いので、おあし(足=銭)がたくさん付いて金運を呼ぶと言われ、商人や芸人の間では「客足、出足」が増え、繁盛すると信じられて人々の信仰を集めたのです。

また、鉱山師や鍛冶師も毘沙門天を信仰したとのことですが、理由は鉱脈の形や鉱山の採掘穴がムカデの姿形に似ているからだとも言われています。

 

毘沙門天の真言

毘沙門天

毘沙門天の効果を得るには真言を唱えます。

オン ベイシラ マンダヤ ソワカ

と、3回唱えましょう。

これは、一般的な真言です。

これ以外に強力な秘修法があります。

浴油供とは

それは、浴油供または、浴油祈祷、双身法ともいいます。

「双身」というのは、毘沙門天と心をひとつにして祈祷するという修行です。

その祈祷法とは、双身毘沙門天像に昆布を供え、カヤの木の油をかけるというもので、108回を一単位として1日7回、つまり1日に756回、カヤの木の油をかけるという、特別な祈祷法です。

祈祷者は、これを毎日やるか、期間を定めて続けるかを選択して、満了するまで続けなければならないという厳しい修行です。

毎日やると選択すれば、一生、毘沙門天と共に修行を続けるという

この浴油供は、真言宗では秘法中の秘法と呼ばれる秘修法で、特別な真言を唱えます。

オン シチロ クリ ソワカ

この特別な真言を唱えながらカヤの木の油をかけている間は、毘沙門天が身代わりに修行をしてくださるという、心身ともに毘沙門天とひとつに交わる秘修法なのです。

やりだした行者は一生続けなくてはいけないということも、毘沙門天と一体化できる幸せがあります。

この浴油供は、大変厳しい修法で、真言宗では、秘法中の秘法と呼ばれています。

聖徳太子とカヤの実

信貴山朝護孫子寺には、カヤの御神木があります。

聖徳太子が寺を開基した頃に芽吹いたとされるカヤの木で、樹齢1500年といわれる御神木です。

秘法『浴油供』でもカヤの木の油を用いますが、このようにカヤの木と毘沙門天は深い関わりがあり、カヤの御神木そのものが信仰の対象ともなっています。

朝護孫子寺では、戒壇巡りの受付にて『福徳を招く かやの実』を授与することができます。

このカヤの実を毎日燃やすと、付近を浄化し、福を招くといわれています。

授与していただいたカヤの実を焼くと、油分が多いせいでしょうか、すぐに皮の部分が燃えてしまい、火が消えてしまうのでうまく燃やせません。

器に入れてロウソクで火をつけると、ロウソクが溶け、じっくりとカヤの実を焼くことができます。

また、カヤの実の中まで燃やすことができると、暫くの間燃え続けます。

カヤの実が焼けるに従って、油分が燃焼しているような煙が立ち込めてきます。

この煙にご利益がありますので、カヤの実はじっくりと焼くようにすると良いでしょう。

カヤの実を焼く

毘沙門天~お使いのムカデは前に進むだけ~戦勝と財宝の神 まとめ

戦いの神が財宝をもたらす…

ちょっと見には「戦って金を奪い取れ」みたいに感じでナンだかなと思ってしまいますが、仏教徒を守る役目も持っている毘沙門天。

単なる金目当てで戦はしないんじゃないかと信じたいですね。

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