昨今では「ハンコ」は不要という論者も多いですね。
リモートやテレワークの推進の障害になっていると言われる「ハンコ」。
このハンコ不要論をめぐって、様々な議論がかわされてきたのですが、このほど「はんこ議連」会長の辞任によりハンコ廃止が進められていくことになるかもしれません。
個人的な意見ですが、結論から言うと「ハンコを押すためにわざわざ出社にないといけない」のはナンセンス。
この件に関してはハンコ不要に同意します。
ただ、ハンコを文化の一形態とする声もありますが、どうも説明不足のような気がしてならないので、今回はハンコについてお話したいと思います。
索引
ハンコは不要なのか?
内閣府、法務省、経済産業省の見解では、民間企業などが取り交わす契約について「契約書への押印は特別の決まりがない限り不要」と発表しました。
たしかに、「ハンコを押すためにわざわざ出社にないといけない」のは合理的ではありませんよね。
とはいえ、「ハンコ…出社」という必要性が多くの人に当てはまるのかは疑問ですが。
ハンコ不要を訴える人のなかには、合理主義者もいて、そういった合理主義者は、あたかも大勢がハンコ不要だと言っているというような論じ方をする傾向にあるように思えます。
まぁ、報道は少数派意見やレアケースを取り上げて騒ぐことも多々あるので、仕方ありません。
わたしも調査したわけじゃないので多い少ないはわかりませんよ。
ただ、ハンコって実印や銀行印、認印など、必ずしも一人にひとつではないので、「銀行印どれだったかな?」なんていうことも多々あります。(わたしの場合)
けっこうわずらわしいんですよね。
そういった意味では、なくて済むものであれば廃止したほうがいいと思います。
一般人が持てなかったハンコ
そもそもハンコって玉璽など、国や国王を表すシンボルを彫刻した印章です。
古くは古代メソポタミアで使われていたそうです。(出典:ウィキペディア)
現代でいう政治家や知事クラスの人でもハンコは与えられず、花押(かおう)という手書きのシンボルを使っていたようです。
戦国時代になると、大名たちはこの花押の手間を簡略化するためにハンコを使用したとされています。
つまり、経営者程度の一般人はハンコをもっていなかったんです。
というか、ハンコの必要性がなかったわけです。
クリエイターたちのハンコ 花押から落款へ
「一般人にはハンコの必要性がなかった」とお話しましたが、戦国大名をはじめ、いわゆる高貴な人の流行になったのではないかと思います。
古い掛け軸に書かれた絵、書、また建造物などにハンコを見かけることがあります。
絵や彫刻などでも、古くは花押を用いていました。
これも手間の簡略化のためか、次第にハンコに変わっていきます。
このハンコは「落款(らっかん)」といって花押同様に本人の作品であることを示す刻印のような意味がありました。
当時の大工や彫刻師は、幕府からの命令によって社寺を建造していましたから、官職でなくとも、それ相応の立場だったと考えられます。
つまり、ここでも国や国王、官職、クリエイター以外の一般企業や一般人はハンコを持つ必要がなかったということではないでしょうか。
ハンコは憧れによる流行
江戸文化が花咲き、様々な作品の中で落款を目にする機会が多くなります。
それまで高貴な人や武家、そしてクリエイターしか持っていなかった落款を真似て、一般人もハンコを持ちたいと思うようになったのではないかと筆者は考えます。
この憧れからハンコの習慣が広まり、現代に至るまで、印鑑登録のような制度が義務付けられるようになったのでしょう。
はっきり言って「一般企業や一般人にはハンコは不必要」です。
しかし、今でも憧れていた習慣は根付いているのかもしれません。
重要書類には黒または青色のペンで記入しますが、赤色のハンコを押すことで「なんか締まりがでた」なんていう感覚はありませんか?
昔からハンコの色が黒だったら、もっと早くに廃止されていたのではないかと思えるくらいです。
とはいえ、現代でも落款(ハンコ)を必要とする職業はあります。
こういった業種では、書類上の契約や仕事上の証明などにハンコが廃止されたとしても、落款がなくなることはないでしょう。
ハンコの便利さ?
逆に自筆サインだったら面倒になることもありますね。
「ココとココとココとココにサインお願いします」とか、1日にどれだけサインしたんだって思うくらいサインしたことありませんか?
ハンコでないとダメっていうことが議論になっていますが、サインでないとダメってなったら面倒くさいこともありますね。
もうひとつ、電子サインも面倒です。
どうせなら指紋でいいじゃんって思うのはわたしだけでしょうか。
わたしなんか、仕事上の書類くらいなら、部下に100均でハンコ買ってきてもらって勝手に押してもらいますよ。
認印には便利な使い方もあるわけです。
メールで送信するだけで意思の証明になるそうなので、電子書類で済むに越したことはないんですけどね。
また、「はんこ議連」の人は「大切なハンコだからこそ、それを渡すことで大切な人だと表現できる」というようなことを言っていました。
これも、価値観が同じなら、便利な使い方だとは思いますが、ビミョーですね。
苦し紛れな感じは否めませんし、賛否両論あるのは当然でしょう。
ただし、今回のテーマは「行政の書類にハンコは必要か不要か」ということですので、行政の人にわたしのハンコを買ってきてもらって勝手に押してもらうわけにもいきませんので、わずらわしいハンコは無くていいと思いますね。
ハンコが不要になると高価なものになるかもしれない
行政のわずらわしいハンコは要らないとは思うんですが、なんでもかんでも合理的でいいんでしょうか。
これを文化というのはどうかと思うのですが。
書類においてハンコが必要とされているからこそ、今は産業として多くのハンコ職人がいます。
ハンコが廃止されることで、趣味の商品、あるいは限られた人だけに必要なものということになれば、いずれ職人が減り始めます。
ハンコ職人が減ると、おそらくハンコは高級品になるでしょう。
わたしは、彫刻関係の仕事をしていましたので、これはよくわかります。
日本以外の国のなかには椅子やテーブル、家具に彫刻が施されているものが一般的な国も多くあり、産業として成り立つことで職人は途絶えず、彫刻もそれほど高価なものではありません。
しかし、日本では彫刻は大変高価です。
古い社寺を修復したり、新造したりするときに他の何よりも彫刻代金が一番高額です。
ハンコ職人になるためには10年もかかると言われていますので、いずれ同様に職人不足の事態になる可能性は高いでしょう。
とはいえ、行政書類においてハンコが廃止されたところで、一定数の需要はありますからこの国からハンコがなくなることは無いでしょう。
開運ハンコはどうなのか?
落款以外にも一定数のハンコの需要のひとつに「開運ハンコ」というものもあります。
日本では古くから名前には特別な霊力が宿っていると考えられてきました。
名前の霊的パワーについては次回の記事「忌み名(名前)と金運|支配される西洋思想と支配する東洋思想」を参考にしてください。
よく風水師が「ハンコで開運」とか「財布で開運」といったりしますが、実は風水ではなく、これらは大本を同じとする東洋思想によるものです。
昔は「明日ハンコほしいからすぐ彫ってください」って言ったことがありますが、すぐには彫ってくれませんでしたよ。
ハンコをつくる印章彫刻師は、たいてい仙道五術や陰陽五行を学んでいるので、名前、仕事、用途など詳細を聞かれて、書体を決めてくれます。
ハンコの素材は、わたしが希望する価格に応じたものを選び、日柄の善い吉日を選んで彫るんです。
このように、霊力をもつ名前、彫る素材、その書体、吉凶日時、というように霊符や護符の謹製にみられるような技法を用いているともいえるのがハンコです。
霊力が込められたハンコの用途として大切なのは、繁栄を望む個人や会社が登録に使う「実印」「社印」です。
さらに、豊穣を意味し、お金を蓄えておく場所である銀行の口座開設に使う「銀行印」にも善い気をもつ開運ハンコを作りたいと思うのは当然でしょう。
東洋思想と言っても中国では庶民はハンコを持っていません(見たことがない)から社印くらいですが、日本においては少なからず習慣として根付いています。
ハンコ不要|行政で廃止後、特別な意味をもつ まとめ
善いハンコを買えば必ず幸せになるわけではありませんし、その効果を証明できる合理的根拠もありません。
ただ、体感のみです。
詳しくは「迷信を信じる人は成功する」の記事を御覧ください。
ハンコをわずらわしいと思うか、開運のアイテムと考えるか。
たとえ行政の書類でハンコが不要になったとしても、開運ハンコによる体感経験があるならハンコを使えばいいと思います。
開運ハンコを専門にしている職人さんもいますから。
また、一定の需要のうち、開運ハンコと落款は無くならないと思いますので、慌ててつくる必要はないですが、街のハンコ屋さんは減っていくでしょうね。
ともかく、古くは個人を識別するただひとつの方法がハンコだったわけです。
これが、個人を識別するいろいろな方法になると助かるのは間違いなさそうですね。
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