土佐稲荷神社

土佐稲荷神社という神社をご存知でしょうか。

ちょっと久々の記事になりますね。

なにやら変わった社号だと思いますが、今回ご紹介するパワースポットは大阪市西区にある土佐稲荷神社です。

土佐稲荷神社

主祭神: 宇賀御魂大神(宇迦之御魂神、倉稲魂命、保食神)
御祭神: 素盞嗚大神、大市姫大神、田中大神(大歳神、大己貴神)
所在地: 大阪府大阪市西区北堀江4-9-7

土佐稲荷神社

宇賀または宇迦には「食」という意味があり、食料の神、すなわち五穀豊穣にご利益がある神様です。

宇迦之御魂神は、伏見稲荷大社の主祭神として知られ、一般には「お稲荷さま」と呼ばれて親しまれています。

この五穀豊穣が、転化して現在では「食」に困らないという意味で「金運」や「商売繁盛」の神様として知られています。

レア鳥居

土佐稲荷神社

まずは礼をして鳥居をくぐります。

と、ここで何か違和感がありました。

鳥居の柱が丸柱ではなく角柱のいわゆる住吉鳥居です。

かなりレア鳥居といえるでしょう。

住吉鳥居は角柱を採用していることから角鳥居ともいい、住吉大社や大阪城内の豊国神社、京都では通称縁切り神社として知られる安井金比羅宮にありますが、まさかこんな身近に出会えるとは思ってもみませんでした。

住吉神社の名残り?

江戸時代では土佐藩の藩邸と蔵屋敷は長堀川を挟んで東は鰹座橋、西は玉造橋の地域にあったといいます。

当時は土佐からの物資を積んだ船が大阪湾から長堀橋まで入ってきたということで、土佐藩邸の地域では橋の名称を土佐に深く関わる鰹座橋、白髪橋と名付けたそうです。

鰹座橋は土佐の鰹節問屋が並んでいた場所。

そして、白髪橋は土佐の白髪山から伐採した材木の荷降ろしをした場所です。

この鰹座橋のそばの土佐藩蔵屋敷には古くから神社が祀られていたようですが、創建年代は不明です。

さて、この頃に祀られていた祭神についても不明なのですが、先ほど紹介した住吉鳥居が手がかりとなるかもしれません。

もうひとつの手がかりがあります。

馬の銅像です。

現在では三菱の稲荷紋が施された鋳物の馬ですが、稲荷神社に馬を祀ることはあまり見かけませんよね。

そうです、馬の像といえば住吉です。

鋳物の馬だけに後に改修されたとは考えられませんが、元々あった馬の像を稲荷紋にして作り変えたと考えることはできますね。

馬の像

また、土佐藩と大阪を結んでいるのは船です。

住吉三神に海運祈願をすることは自然といえるでしょう。

やはりここは元々、住吉神社であった可能性があるのではないでしょうか。

土佐藩邸と蔵屋敷の守護神

土佐藩主は代々この神社を祟敬していました。

1710年、6代目藩主であった山内豊隆が京都の伏見稲荷大社からこの地へ宇迦之御魂神を勧請し、土佐稲荷神社となりました。

これ以降、土佐藩邸、蔵屋敷の守護神として眞吊られる祀られるようになり、藩主山内家は参勤交代の際には必ず参拝したと伝えられています。

以後、土佐稲荷神社の改修、修復事業は土佐藩の藩費で賄われてきたといいます。

三菱と土佐稲荷

実は私はこの土佐稲荷神社に並々ならぬパワーを感じていました。

この神社の社紋をご覧になれば、お気づきになる方も多いと思いますが、稲荷神社の特徴である稲穂の紋の中央に三菱の紋があります。

そうです、土佐稲荷神社は三菱の守護神でもあったのです。

土佐稲荷神社社紋

三菱の創業者として知られる岩崎彌太郎は、明治3年に土佐藩邸の責任者になりました。

また、土佐藩の政務や蔵屋敷の管理だけでなく、開成館大阪出張所(大阪商会)の活動も取り仕切り、大阪藩邸の責任者となります。

しかし、土佐藩邸は借金が多く、鴻池や銭屋など豪商の抵当に入っていましたが、岩崎彌太郎は藩営ではなく私商社として九十九商会を設立しました。

この事業の成功により土佐藩の借金を肩代わり返済し、土佐藩邸や蔵屋敷の払い下げを譲り受けることで土佐稲荷神社は土佐藩の守護神から九十九商会の守護神として引き継がれました。

その後、九十九商会は三菱商会と名を変え、本社を東京に移して敷地を大阪市に譲渡しましたが、岩崎彌太郎は土佐稲荷神社だけは手放すことなく、三菱商会の守護神となったのです。

岩崎彌太郎

岩崎彌太郎

いわずと知れた三菱財閥の創始者であり初代総帥です。

岩崎家は土佐藩の郷士でしたが、曽祖父の時代に郷士の資格を売って食いつないでいった貧しい武士の家系でした。

岩崎彌太郎は武家といっても下級、しかも資格のない地下浪人と呼ばれる立場の貧しい生活をしていたようです。

彌太郎が奉行所の不正を訴えるために壁に墨で「官は賄賂をもってなり、獄は愛憎によって決す」と大書したため投獄されました。

この獄中で彌太郎は算術と商法を学び、明治維新後は、武器商人として名高いグラバーを三菱で雇い、坂本竜馬の亀山社中の財務処理を行うなどその真価を発揮します。

岩崎彌太郎の大阪での住まいは土佐稲荷神社のすぐ傍にありました。

東京に移り三菱財閥を設立してからも岩崎彌太郎は土佐稲荷神社を手放すことなく篤く信仰していたことが伺えます。

岩崎弥太郎石碑

明治5年の岩崎彌太郎の日記ににはこうあります。

雨、夕顔(船名)東京に赴(おもむ)かんとす。余また新宮に赴かんとす。午後雨甚(はなはだ)し。夕顔出航を翌日に延べ、稲荷社において祈祷を行う。余もまた祈祷す

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