髭は運気を害う「穢れ」なのか?

男性にとって髭は、毛髪と同様、自然に生えてくるものです。

石器時代では毛むくじゃらのヒトが描かれていますよね。

髭は男子にとって切っても切れない関係なのです。

しかし、髭は時折、嫌われる対象となります。

現代の女性にとっては、青ひげは気持ち悪いだとか、無精髭は汚いなどの声もあります。

衛生的に清潔かどうかはともかく、印象として汚いと思われてしまうのは運気に左右するのではないかと考え、少しではありますが調べてみました。

髭は無骨さと権威を併せ持つ

日本人における髭のイメージを歴史的に考えてみると「無骨」、そして「権威」といったキーワードが浮かび上がってきました。

もともと、文化を生み出す前のヒトは、ひげ剃りなんていう道具もありませんから、生えっぱなしだったのではないでしょうか。

雄ライオンのタテガミのように、ヒトの髭を見ただけで雌雄を区別できる外見上のポイントだったのかもしれませんね。

しかし、文化が開花したあとの平安時代には、髭を剃り整えるのことが男子のたしなみとなっていたようです。

これは、刃物が良質になったことがこのような流行を生み出したと考えられます。

その後、髭をきれいに剃ることが身だしなみとなりますが、武家社会では髭をたくわえる武将も多かったと言います。

こういった過程で、われわれ日本人にとって髭は「無骨」なイメージが定着したのかもしれません。

 

しかし、一方で髭を美しいと表現した武将もいます。

美髯公 ( びぜんこう )と呼ばれた三国志の英雄、関羽(かんう)がそれです。

「ひげ」は「髭」と書きますが、これは口ひげ(口の上の毛)を指すそうです。

あごひげは「鬚」、ほおひげは「髯」と生えている場所によって漢字を使い分けていたというのをわたしも初めて知りました。

美髯公における「髯」の字から考えると、頬に美しい髭をたくわえていたのでしょう。

放おっておいても生えてくる髭を「美しい」と表現するのはおもしろいですね。

頭髪も自然と生えてくるものですが、美しいと表現するからには手入れを怠らず、日々整えていたということでしょう。

 

さて、明治時代になると、西洋文化が流入してきます。

当時の人の写真を見る限り、西洋の政治家や英雄、南北戦争の軍人は、髭をたくわえている人が多かったようです。

この西洋文化の流入により、日本は影響を受け、髭は無骨なもの、そして美しいものから、格好良いものと考えられるようになり、「権威」の象徴として政治家たちの間で流行しました。

髭は、無骨さと権威といったイメージを併せ持つことで「格好良い」ものと捉えられるようになったということです。

現代でもデビッド・ベッカムや竹之内豊さんなど、髭を男の魅力として人気を集めているスターもいますね。

彼ら現代のスターにおいても、その髭からは不潔さを感じません。

スターだからでしょうか? 日頃から手入れがいきとどいているような清潔感すら感じさせます。

こういう髭なら「格好良い」と感じる人も多いようです。

また、現代社会において清潔感は、有効な武器となっていると言えます。

清潔感のある人ほど、仕事の上でも私生活の上でも好感がもたれるなど、重要な要素となっているのではないでしょうか。

ただ、無骨さ、権威、清潔感などのイメージは、全て「他人がどう感じるか?」ということになります。

つまり、相手の受け方によるものなのです。

汚い外見は凶を生むとしたら

現代では、好き嫌いが別れる「髭」ですが、イメージを左右する捉え方しか注目されていません。

しかし、古代の日本人はどう考えていたのでしょうか?

8世紀頃に編纂されたとされる日本最古の歴史書『古事記』に「髭」の記述を調査したところ、建速須佐之男命(スサノオノミコト)の様子が記されていました。

八拳須至于心前、啼伊佐知伎也。其泣狀者、青山如枯山泣枯、河海者悉泣乾。是以惡神之音、如狹蠅皆滿、萬物之妖悉發。

岩波文庫『古事記』より引用

読み下し文:八拳須心前に至るまで啼きいさちき。その泣く状は、青山は枯山如す泣き枯らし、河海は悉に泣き乾しき。ここをもちて悪しき神の音なひ、さ蠅如す皆満ち、万の物の妖悉に発りき。

講談社学術文庫『古事記』より引用

拳(つか)は長さの単位で、ひと掴みの手の幅を表しているそうで、八拳須(やつかひげ)とは、長い髭というたとえです。

この時、須佐之男命は、この八拳須が胸元に至るまで泣きわめいていたというのです。

その鳴き声は、山は枯れ山と化し、川や海の水は枯れ果て、悪しき者が発生するほどであったといいます。

この須佐之男命の行動を「悪神のさわぐ声」と表現しています。

このあと、須佐之男命は様々な悪事を働き、それを恐れた天照大神は天岩屋戸に隠れてしまいます。

こうして太陽神である天照大神が隠れたことから、世界から昼間がなくなったのです。

みなさんもご存知のように、皆で思案した末に、岩屋戸の前でどんちゃん騒ぎをして天照大神を引き戻しますが、須佐之男命に罰を与えます。

その罰は、こう記されています。

於是八百萬神共議而、於速須佐之男命、負千位置戸、亦切鬚及手足爪令拔而、神夜良比夜良比岐。

岩波文庫『古事記』より引用

読み下し文:ここに八百万の神共に議りて、速須佐之男命に千位の置戸を負せ、また鬚と手足の爪とを切り祓へしめて、神やらひやらひき。

講談社学術文庫『古事記』より引用

八百万の神々の協議の結果、須佐之男命に沢山の品物を罰として納めさせ、髭を切り、手足の爪を抜いて、追放したというのです。

これは、伸び放題だった「髭」と「爪」を穢れと解釈することができるのではないでしょうか。

「髭」と「爪」という穢れを祓うことで、このあと須佐之男命は地上に降り立ち、八俣の大蛇を退治するなどして出雲を治めます。

とはいえ、日本の神々は髭をたくわえた姿で描かれることが多いイメージですよね。

印象だけでなく自身の運気を左右する「穢れ」

先ほどの「無骨さ」や「権威」といった他人に与える印象を表した「格好の良さ」ではなく、自身の運気を左右する「気」のめぐりの状態と考えると「穢れ」は「凶」にあたりますから避けたいものです。

ここで重要なのは、ただ単に「髭」が穢れというのではなく、「伸び切った髭」すなわち無精髭が穢れにあたるということです。

わたしたちが日々、整えなくてはならないのは、心や住まいだけではありません。

「他人にどう思われようが関係ない」とは言わず、自身の身なりを整えることは良い運気に恵まれるために決して怠ってはならないことだと思います。

参考書籍について

参考書籍について、もし読んでみたいという人のためのちょっとしたレビューをしておきます。

古事記 倉野憲司校注 岩波文庫

この記事の引用に記載した原文が必要なら岩波文庫の『古事記』が価格も安くいいと思います。

また、二段に分割されていて、すぐ下段には注釈が読めるも良いですね。

意外に読み下し文も読みやすいので、出典や参考文献にするならこの本がおすすめです。

古事記 全訳注 次田真幸 講談社学術文庫

講談社学術文庫の『古事記』は、原文はありません。

しかし、読み下し文と現代語訳、解説、注釈などが充実しているので研究にはもってこいです。

ただし、わたしの主観ですが、偏った解説がされているように思うので、この解説は要らないと感じました。

また、読み下し文だけを見ると岩波文庫のほうが読みやすく感じましたが、現代語訳があるので、初めて『古事記』を読んでみるという人には良いかもしれません。

注釈も充実しているので、長く付き合える本だと思います。


これ以外にも、読みやすい古事記といった書籍はありますが、わたしはどうも「イザナミがお亡くなりになられた」もしくは「死んだ」という表現が嫌いなのです。

神様は死にませんし、原文にも「神避」と書かれています。

上記の2つの書籍は、注釈が充実していて「神避り」とは「神様がこの世から去られた」というように黄泉国へ旅立たれたという表現がわかりやすく記されているように感じるんです。

興味があれば手にとってみてください。

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