金運や運気について記事を更新していますが、みなさんの運気はどうですか?
運気の他にも、占い、ラッキーカラー、ラッキーアイテム、神頼み、など世の中には【迷信】と言われるものがたくさんあります。
もともと、わたしは財布の使い方や選び方を紹介しているうちに、暦注をもとに金運や運気について詳しく勉強するようになりました。
財布の使い方をはじめ、日々の行い、暦注による運気の移り変わり、これらは全て迷信なのでしょうか?
これらを迷信と否定する人は、何も信じてはいないのでしょうか?
大事なのは信じることだ。すべての証明よりも前に信じることだ。
信じることの出来ない人は証明がない。
エミール・オーギュスト・シャルティエ(アラン)
作家アラン・シャルティエからペンネームをとったアランことエミール=オーギュスト・シャルティエは、フランスの哲学者です。
彼は、 迷信と言われる物事の証明を急ぐよりも、まず信じて達成することで「迷信ではない」と証明されると言っています。
迷信だと顔をそむけている人は、いつまでもこの迷信を証明することができないので永遠に「迷信は迷信」にすぎません。
実は、運気というのは迷信ではなく「信じることでメンタルに働きかけて成功へ導く」と、ある研究により証明されています。
この迷信を信じる人の話は、メンタリストDaiGoさんの動画で紹介されていたので、私も疑問に感じていた迷信について考察してみました。
吉凶は迷信とされている?
わたしが紹介している「開運日」というのは、暦注をもとにしています。
これらは、星の動きから吉凶を探し出すという、古来から伝わる占術のひとつです。
また「財布の使い方・選び方」や「金運アップ」というのも同様に古くから伝わる風水や五行、九星気学をもとにしています。
これらの占術は、歴史におけるその時々の場面にて結果がでているとも言えます。
つまり、暦注、風水、五行、九星気学などの占術は「星の動き」や「時間の移り変わり」をもとに導き出された資料と考えることができるのです。
こういった占いや運気を言い当てることは、信じる人もいれば、【迷信】ととらえて信じない人もいます。
では、迷信とはいったい何なんでしょうか?
迷信と合理的な根拠
迷信は弱々しい精神の宗教である。
エドマンド・バーク
イギリスの政治家としても活躍したアイルランド人の哲学者、エドマンド・バークは、迷信に対して否定的です。
迷信は下劣な魂の持ち主たちの可能な唯一の宗教である。
ジョセフ・ジュベール
生涯を読書と瞑想で過ごしたというフランスの思想家、ジョゼフ・ジュベールは、否定というよりは悪意すら感じる発言をしています。
このように、迷信は「嫌われる存在」と言えるでしょう。
一般的に迷信とは、人々に信じられていることの中で、合理的な根拠を欠いているもの、社会生活に実害があるものを指します。
身近なことで例えると「古い言い伝え」や「たたり(祟り)」などがそれにあたりますが、「合理的な根拠」と語る人の意見は、少数派やレアケースを大きく取り上げる傾向があります。
実際、この世の中は非合理的なものばかりです。
よく考えてみると「愛のちから」「友情パワー」なんて非合理的なものあるはずがないのですが、子供の頃から今に至るまで「無い」はずのものを感じ、それを信じて生きています。
確かに愛や友情と同様に、金運や運気というものは合理的な根拠が「ない」とも言えますが、「ある」と感じることで心理的に道が開けることもあります。
信じると決めたのなら、何も語らず、疑うことなく、心から信じるのです。
ウォルト・ディズニー
これは、だれもが知っているミッキーマウスの生みの親、ウォルト・ディズニーの言葉です。
ウォルト・ディズニーは、自分の進む道を信じて努力と失敗を積み重ねた結果、成功を手に入れました。
この「信じた道」に合理的な根拠があったでしょうか。
合理的な根拠としては「ない」と言えますが、彼の中では「やりきってやる」「必ずできる」と信じることで根拠は「ある」に変わります。
わたしがあなたにお伝えしている「運気」とはまさにこのことなのです。
「やりきってやる」「できると思い込む」ことで、運気はあなたの味方をします。
権威があると迷信ではなくなる?
ここで権威性についても考察してみましょう。
「誰かが使っていたから」というだけで迷信とは思われないものもありますよね。
- プロゲーマーがつかっているゲーミングチェアーに座っているとゲームがうまくなる
- アインシュタインが使っていたペンを持つとアイデアがひらめく
- ピアノにショパンの音楽を聞かせると良い音が鳴る
- イチローが使っているバットを使うと打てるようになった
こういったことは科学的根拠のあるものもありますが、意外に思い込みだったりしませんか?
そして、その思い込みは【迷信】といえるのではないでしょうか。
ペンが変わるとなめらかに書けるというのならわかります。
しかし、ペンが変わったからと言って脳の働きになんの効果があるのでしょうか。
「アインシュタインのペンの効果」について合理的な説明を誰ができるでしょうか。
それは「アインシュタイン」という権威性から「同じペンを使うとアイデアがひらめく」と思い込んでいるだけなのかも知れませんよ。
- 聖徳太子が戦の前に奈良県の朝護孫子寺で毘沙門天から秘法を授かって勝った
- 神武天皇が八咫烏の導きにより東征を果たした
- 学問の神・菅原道真公に合格祈願したら受験に合格した
先程のアインシュタインのペンとなんの違いがあるでしょうか。
どれも合理的な根拠はありません。
考えれば考えるほど、全てが迷信なのではないかと思えてきます。
あなたは迷信を信じていない?
同じようなことで【験を担ぐ】というものがあります。
例えば「左から靴下を履いたらサッカーの試合に勝てた」という経験から、毎回左から靴下を履く習慣として取り入れるというようなことです。
「金運アップすると言われている寅の日に競馬に勝った」という経験から、「寅の日だから今日も勝てるかも」って思うことはないでしょうか。
これは「経験による思い込み」、つまりこれも【迷信】です。
また、有名人が着ている服を着てみたいと思うのも同じようなことでしょう。
「有名女優がドラマで使っていたあの腕時計」とか、「有名俳優がCMしているビール」とか。
なんだか自分もキレイになれた気がしたり、ビールが美味しく感じたり。
- ペンが変わるとヒラメキが変わると信じていませんか?
- あなたはイチローのバットを買いませんか?
- 寅の日には競馬で勝てる気がしませんか?
- ハリウッドスターたちの間で流行っているサングラスをほしいと思いませんか?
- おみくじで大吉が出たら嬉しくなりませんか?
「合理的な根拠のない迷信を信じない」と言っていても意外とこういうことはあったりしますよね。
権威をもつ有名人と同じものをつかうことで気持ちよくなりませんか?
【できる】ような気になりませんか?
でも、悪いことじゃないんですよ。
金運も、占いも、権威性も、これらは全て「信じることが重要」なのです。
信じるといっても信仰のように深く考える必要はありません。
だた、人の成長の過程で必ずと言っていいほど、人は何かを信じてその道を歩んでいます。
これをあえて非合理だと否定せず、素直に受け入れるだけでいいのです。
なんのことはない「直感」です。
なんか嫌な感じがすればしないし、良い感じがすることは受け入れる。それだけのことです。
信じる者は救われる
実は、【そう信じる】、それだけでいいんです。
- アインシュタインのペンを使うと【自分もできる】というような気分になって新しいアイデアをスラスラ書いてしまう
- イチローのバットを使うと【いつもよりバットが振れている】ような気がして打てた
- 寅の日に金運のご利益がある神社にお参りをすると【金運アップした】気がして競馬に勝った
こういう【迷信】とも思われがちな成功事実は、メンタルの働きにより結果を出せるということもあるのです。
それほど、メンタルというのは私たちの身体能力にも影響を与えています。
できるかどうか分からないような試みを成功させるただひとつのものは、まずそれができる、と信じることである。
ウィリアム・ジェームズ
ウィリアム・ジェームズは、アメリカの心理学者です。
せっかくのイチローと同じバットも「できるかどうか不安」になっていては、あたりません。
「打てる」と信じるからこそ、それを実行し、結果が生まれます。
成功の9割は、信じる気持ちから生まれる。
ウディ・アレン
ウディ・アレンは、アメリカ合衆国の俳優・映画監督です。
彼のような多彩な才能を発揮するには、信じる気持ちが無ければ達成できなかったでしょう。
つまり、【迷信】と言われるような合理的な根拠がないことでも、「人間はなにかを信じることによって普段は使えない能力を発揮できることがある」ということを成功という結果をもって証明したということです。
もちろん科学的に証明されているわけではありませんし、根拠もありません。
最初にご紹介したエミール=オーギュスト・シャルティエの言葉を思い出してください。
大事なのは信じることだ。すべての証明よりも前に信じることだ。
信じることの出来ない人は証明がない。
エミール・オーギュスト・シャルティエ(アラン)
彼の言う通り、迷信と言われる物事の証明を急ぐよりも、まず信じて達成することで「迷信ではない」と証明されると言っています。
迷信だと顔をそむけている人は、いつまでもこの迷信を証明することができませんね。
そういった人は、口だけ達者でたいてい貧乏です。
わたしの経験上、お金を儲けている人は、高価な財布を使っていたり、かなりの割合で財布やその使い方にこだわりを持っています。
「高価な財布」「アインシュタインのペン」「イチローのバット」のように実感、体験、あるいは成功事実による証明がされているにも関わらず「合理的な根拠のない迷信」と言われていることはたくさんあります。
だから、わたしは「占いなどの【迷信】と呼ばれるものは科学的に説明できるか?」という問いに対して、「いいえ」だけど「信じることで迷信ではなくなる」と答えるのです。
迷信? 新札は財布にとどまる性質がある
「迷信ついでに」というわけではありませんが、金運にまつわる、ちょっとしたお話をご紹介します。
迷信と呼ばれるものの中には成功事実による証明によって「合理的な根拠」が示されているものもあることは先ほどお話ししたとおりです。
その中でも、金運や運気に関わる「財布の使い方」について迷信と捉えている人が多いように思いますが、これも実は「合理的な根拠」が証明されているひとつです。
わたしはいつも「財布の中のお札はなるべくキレイに入れるべし」と言っています。
顔色や容貌を、いきいきと明るく見せることは、人間としての基本的なモラルである。
なぜなら人の顔色は、家の門口のようなものだからである。
広く人と交際して、自由に付き合うには、門をひらき入口を清潔にし、客が入りやすくすることが大事である。
福沢諭吉
福沢諭吉は、一万円札の肖像でおなじみですね。
容姿をきれいに整えることは基本的なモラル、また、門についても「入り口を清潔にすることで客が入りやすくなる」という、財布の使い方に通じることが大事だと言っています。
これは、一万円の肖像である福沢諭吉だから取り上げたわけではありませんが、清潔であるということは外の人には親しまれやすく、自分自身は汚したくないという心理が働きます。
これだけではありません。
実は、財布の中がキレイだとお金はその財布から出て行きにくいと言われています。
この話では「新札に特別なパワーがある」というようなスピリチュアルな話ではありません。
特に新札とシワシワのお札を比べてみるとわかることです。
きれいな新札とシワシワの古びたお札を財布に入れてみてください。
あなたは、どちらから遣っていきますか?
心理学の分析によると、人間の心理として先にシワシワの古びたお札から使っていく性質があることがわかっているのです。
だから、財布の中に入っているお札をキレイに整理することで、心理的に無駄遣いをしなくなるというのが「合理的な根拠」となるのです。
あなたは、どうですか?
私はこれを聞いて「そういえば自分もそうだな」と思いましたよ。
こういうお金の話も「信じて損はなかったんだ」と感心したお話です。
全ては結果。
「信じる者は救われる」のですよ。
わたしがなぜ、金運アップの研究をしているかというと、あるきっかけがあったからです。私の友人は、ロト6の攻略をしていました。
ロト6の1等当選確率は600万分の1と言われていますが、数字を自分で選ぶという仕組み上、攻略できるように思えたのでしょう。
しかし、600万分の1っていったら、ほぼ運ですよね。
そこで私が思ったことは「ロト6を攻略するよりも金運を上げたほうが早いのではないか?」ということでした。
そして、金運アップの研究をするうちに、「貧乏には原因と結果がある」ことに気づきます。
これらの原因を追求していくうちに、わたしの心が豊かになり、「金運とはこういうものだったのか」と気づいたのです。
それは「金運アップしてどうするのか?」ということです。
金運アップできる人、できない人、全ては「原因と結果」があるはずです。
わたしは、これをみなさまと一緒に省察していきたいと思い、メルマガを配信することにしました。
開運日カレンダーに十二直、二十八宿、それぞれの吉凶をわかりやすく表示し、簡単に吉凶の判断ができるような新カレンダーを制作しています。